トラライフのコラム 2006年5月25日
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最初のセ・パ対抗オールスターゲーム

トラライフです。
2006年のシーズンも、5月23日午前0時よりオールスターゲームのファン投票が始まりました。今年のオールスターゲームは、7月21日に明治神宮野球場、翌22日にサンマリンスタジアム宮崎で開催されます。

さて、プロ野球1リーグ時代(1937年〜1949年)には、オールスター東西対抗試合が行われていましたが、セ・パ対抗のオールスターゲームが初めて行われたのは、もちろん2リーグ時代になってからの1951(昭和26)年です。プロ野球がセ・リーグとパ・リーグの2リーグに分立したのは、その前年1950(昭和25)年なのですが、両リーグの首位チームによる日本選手権試合(名称は「日本ワールドシリーズ」)は行ったものの、オールスターゲームは行われませんでした。世間一般では「分立」ではなく、喧嘩別れの「分裂」と言われていた2リーグへの移行ですから、仲良くオールスターゲームを行える状況ではなかったようです。
その代わり1950年には、それぞれのリーグが東西対抗戦の形で試合を行い、しかもセ・リーグの東西対抗戦は12月9日から12月24日まで、後楽園、中日球場、広島、下関等の7球場で9試合も行われました。
セ・リーグでは監督を含め50人がこの試合に参加していますが、阪神タイガースからは梶岡忠義、徳網茂、西江一郎、藤村富美男、金田正泰、後藤次男の6選手が出場しています。藤村富美男は5本塁打を含む13安打で打点11、打率.342で最高殊勲選手に選ばれました。西江一郎は、公式戦で足を怪我した白坂長栄の補欠で出場したにも関わらず.458の高打率を残し首位打者を獲得しています。

そして、翌年1951年に行われた最初のセ・パ対抗のオールスターゲームでは、それまでの東西対抗戦のやり方を踏まえ、ファン投票でベストナインを選出、プロ野球記者が8名を選出、監督は現在と同様に前年度優勝チームの監督が務め、そして両軍の監督が2人のコーチと8名の選手を選出しました。
1951年のオールスターゲームには、阪神タイガースからは藤村富美男がただひとりファン投票で選出され、その他にコーチとして松木謙治郎、監督推薦で藤村隆男、徳網茂、白坂長栄が選出されています。
第1戦、第2戦はセ・リーグが勝利し、第3戦はパ・リーグが勝利しています。
なお、オールスターゲームの収益金の一部は選手会に還元する慣習のため、試合の開催には球場の収容能力を考慮し、第一戦は甲子園球場で、第二、三戦は後楽園球場で行われました。地方都市で行われるようになったのは、1958(昭和33)年からだそうです。