トラライフのコラム 2005年10月29日
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十年選手制度

トラライフです。
日本シリーズも終了し、そろそろトレードなどの話も出てくる時期になりました。FA権取得選手の動向も気になるところです。
今回はこの「FA(フリー・エージェント)制度」の前身である「十年選手制度」について調べてみました。

もともと日本職業野球連盟が創立された当時は「自由選手になるための保有期間は十年」と規定されていました。
このため、選手寿命の短いプロ野球の世界で十年間も縛られるのはたまらない、ということで「この期間を五年に短縮して欲しい」と選手会から申し入れがありました。
1947(昭和22)年に制定された「選手自由憲章」の中では「経営者と選手は対等の地位に立つこと」を基本的な考え方の一つとし、プロ野球選手の人権を尊重するという観点から、選手会の要望も汲み取った「自由選手」に関する折衷案が盛り込まれました。この中では、球団の選手に対する保有期間や、保有期間の満了した自由選手の移籍の自由などが書かれています。

さて「十年選手制度」ですが、土台となる制度が出来たのが二リーグ分立前の1949(昭和24)年で、これが改正され、野球協約にきちんと文章の形になったのは1952(昭和27)年のことです。
具体的には、同一球団に通算十年在籍した選手を「A級十年選手」、二球団以上の複数球団にまたがって通算十年在籍した選手を「B級十年選手」としました。「A級十年選手」では「ボーナス(勤続賞与)をもらう権利」か「どこのチームとでも契約できる自由移籍の権利」のいずれかを行使できる権利が与えられ、「B級十年選手」では「ボーナスをもらう権利」が与えられるというものです。
結局、この制度は1961(昭和36)年に「年功選手に対するボーナス支給規定」ができたことにより消滅し、選手の意思による移籍の自由はその後一切認められなくなります。

阪神では、1958年にその年首位打者となった田宮謙次郎選手が「A級十年選手」の権利を取得し、この権利を行使して毎日へ移籍しています。
当時の制度では明文化されていない部分が多々あり、制度の曖昧さが球団と田宮選手との間に誤解を生み、最終的に移籍を選ばざるを得なかったという話もありますが、この件についてはまた別の機会に詳しく調べてみたいと思います。

この後、1993年に「FA(フリー・エージェント)制度」が制定されるまで随分期間がありますが、その間にドラフト制度が採用され、そのドラフト制度自体も「逆指名権」が出来たり「自由獲得枠」が出来たりどんどん変わっています。
現在でも選手寿命と比較して球団に拘束される期間が長すぎる、といった意見が選手会からも出ていますが、入団時の契約金のこと、FA移籍に伴う補償のこと、年俸の高騰等、まだまだ難しい問題はたくさん残っているようです。