トラライフのコラム 2005年10月16日
2005年4月1日 阪神甲子園球場の誕生 2005年10月29日 十年選手制度
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MVP(Most Valuable Player)

トラライフです。
阪神タイガースのリーグ優勝も決まり、あとは日本一の瞬間を待つのみとなりました。
今季のMVPが誰になるか、というのも気になるところです。
さてこの「MVP」の制度は、プロ野球が出来て間もない1937(昭和12)年に「最高殊勲選手」として作られました。

当時の選考委員会は読売、国民、都、同盟の6人の記者が各々3人の選手を選び、その中で得票順位上位3名を選出、その後連盟の総務、審判部長らが検討して決定する形であり、チームの優勝には関係なく「最も価値のある働きをした選手」を最高殊勲選手としていたのだそうです。

実際1937年、阪神は秋季リーグに優勝、春・秋の通算成績でも断トツの1位でした。さらに春は松木謙治郎選手が首位打者、秋は景浦将選手が首位打者、西村幸生投手が防御率1位であったにも関わらず、この年の最高殊勲選手には、春は8位、秋は3位だったイーグルスの、アンリー・ハリス・マゲリヤード捕手が選ばれています。

タイガースから初めてMVPに選ばれたのは、1944(昭和19)年の若林忠志投手兼任監督です。この年、若林投手は35試合のうち31試合に登板し、24試合に完投、22勝4敗、防御率1.56で最多勝と最優秀防御率のタイトルを獲得。見事、MVPに選ばれました。
若林投手は1947(昭和22年)にも監督兼任で26勝をあげ39歳で2度目の最高殊勲選手に選ばれています。

MVP制定以来、「最高殊勲選手賞は、あくまでも個人に対して与えられる賞であり、個人の所属するチームの成績は関係ない」ということを前提に選出されてきたそうですが、「最高殊勲」にこだわると、どうしてもチームの優勝が結びついてきて、「優勝チームから選ぶべき」「チーム成績は無関係」ということで議論がなされてきたそうです。そして1963(昭和38)年、実行委員会は「最高殊勲選手」という名称を「最優秀選手」と改め、「受賞対象者は優勝チームに限定しない」と改めて決定したそうです。